片足を縛られて逆さ吊りにされた男。大きな鎌を持った骸骨。月に向かって吠える二匹の犬と池の中に潜むザリガニ。星の下で大地へと液体を流す裸の女性……。
いったいこれらの絵は、何を意味しているのだろうか?
タロットの魅力の一つは、こういった一枚一枚のカードに描かれた不可思議な絵にあることは言うまでもない。
試しに、一切の先入観を捨て、ただタロットの絵を注視していただきたい。その絵は、あなたの開かれた想像力に対して、きっと何かを語りかけてくるに違いない。
実際に、初期イタリア・ルネサンスの頃から伝わるタロットの図像は、これまでにも多くの人々を魅了し、インスピレーションの源であり続けた歴史がある。
たとえば、かの19世紀最大のオカルティスト、エリファス・レヴィ(1810−75)は、タロットを古代から伝わる叡智の秘められた「絵文字」だと考えた。そして、深遠な一冊の書物を読むかのごとくタロットの絵を解釈し、そこから近代オカルティズムの礎となる理論体系を導き出した。レヴィは、タロットについて次のごとく語る。
それゆえ一冊の本も与えられずに牢屋の中に閉じ込められても、たまたま「タロット」を持ち合わせていて、そしてその使い方を心得てさえいたならば、数年のうちに彼は、宇宙全般にまたがる知識を手に入れて、万事にかんして比類ない理論と尽きない雄弁をもって語れるようになるであろう(エリファス・レヴィ(生田耕作訳)『高等魔術の教理と祭儀』人文書院、1992年、299頁)。
また、1920年代の芸術運動シュールレアリスムの中心人物であるフランスの詩人アンドレ・ブルトンは、タロットの「星」のカードにインスパイアされた散文詩『秘法17番』の中で次のように描写する。
ひときわ輝くひとつの星が最初の七つの星たちの中央に鎮座する、その星の分岐は赤と黄の火でできている、それは狼星ないしシリウスだ、それは光をかかげるルシファーだ、そして、他のすべての星に優るその光栄において、それは暁の明星だ。ただこの星があらわれる瞬間においてのみ、風景は輝き、生はふたたび明るくなり、最初の星たちをたったいま屈服させたばかりのこの光の中心のちょうど真下に、池のほとりにひざまずいたひとりの若い女がその裸身においてあらわれる(アンドレ・ブルトン(宮田淳訳)『秘法十七番』晶文社セレクション、1985年、74‐75頁)。
タロット。それは世界の現れに先立つイマジネーションの領域を、わたしたちに思い出させる。したがって、本書の多くの部分は、文字通り実用的な「タロット占い」について書かれたものであるけれども、それは同時に、通常「占い」という言葉が指し示す範囲を超えた世界へと、知らぬ間に降り立つことにもなるだろう。